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2011/06/11

この国のエネルギーのありかたの展望 / Twitterから

 3.11(2011)年から1ヶ月が経過した時点で、地震、福島原子力発電所の過酷事故以前の自分のこの国のエネルギーの今後の考え方についてまとめていく必要を感じました。

 1991年にエネルギー問題を考える中で、個人的に大きな転機となる自然エネルギー事業協同組合REXTAの創設に参加、政策的には、反原発から、具体的な技術の開発、提案により脱原発を目指すという方向性に舵を切りました。
 そして、2011年。伊豆に15年暮らし、自然エネルギー屋をやっていたことからも、大きな関心をもっていた浜岡原子力発電所の停止、廃炉がそれまで実現しなかったこと、それまで20年あまり自然エネルギー屋として活動してきて一定の内容を得たこともあり、別の方向性を模索するために、自然エネルギー屋をやめることを考えている時、3月11日を迎えました。個人的には、皮肉で厳しい経験となるタイミングでした。

 そして、自分が原子力に反対してきた最大の理由である、地震による過酷事故という原発震災をまのあたりにすることになりました。脱原発という方向性の甘さを痛感した出来事となりました。
 その後の菅総理の英断により、ありがたくも、具体的な政治的な決定の内容が不明確である浜岡原子力発電所の停止という事態、そしてその後の停止中の原発の再稼動問題、この夏までにきまる次期エネルギー政策という、日本のエネルギー的な展望で重要な経過の渦中に、私たちはいます。
 現時点で、この国の最大の安全保障上の問題となった地震という複合災害に向き、原子力発電所の安全性を問い直すという困難で時間のかかる仕事を政府が行っているとは考えていません。
 地質、地震、工学はそんなに簡単にみなおしが効くような学問ではないからです。制度、判断する学者、官僚、政治家、そして電力会社とも信頼する状況にはありません。
 安易に原発を再稼動したり、既存の原発の安全性を検討し運転をすることは、あまりに無謀で無責任な行為だと考えています。

 とはいえ、すぐに自然エネルギーがエネルギー供給の一端を担えるわけでもありません。ガス、石炭、石油などの化石燃料の利用拡大は、コストと安全保障上の大きな問題に直面しつづけることを意味します。原子力から退くも地獄、進めば必ず地獄という状況にあると考えています。
 それでも、日本という国の風土を生かして、日本人がより安定して安全に暮らすには、この国の風土のひとつである地震という災厄を受け入れ被害を最小にする努力をしつつ、原子力とは可能な限り迅速に決別する必要があると考えます。

 現在、今後のこの国のエネルギーのありかたの展望をまとめています。
(この文章は、2012年の3月11日に書きました。)

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