「自由に話せる」と感じられる社会は、どこにあるのか
Pew Research Center 世界調査から見える“言論の空気”
前説
「言論の自由」という言葉は、多くの民主主義国家で当然の価値として語られる。だが現代社会では、その自由は単純な憲法条文だけでは測れなくなっている。SNS、アルゴリズム、炎上、社会的分断、同調圧力――。人々は本当に「自由に話せる」と感じているのだろうか。
アメリカの調査機関 Pew Research Center が2025年4月に公開した国際調査は、その問いに対して非常に興味深い結果を示した。世界の多くの人々は「自由な表現は重要だ」と考えている。しかし同時に、自国でその自由が十分守られていると感じている人は決して多くない。
この調査は、「制度としての自由」と「体感としての自由」の間に広がる、現代社会の静かな亀裂を映し出している。
リード
Pew Research Center が35カ国・約4万人を対象に実施した調査によると、世界の人々の多くは「報道の自由」や「言論の自由」を重要だと考えている。一方で、「自国では実際に自由に発言できる」と感じている人は意外なほど少ない。
調査では、世界中央値で「報道の自由は重要」が61%、「言論の自由は重要」が59%だった。しかし、「自国で完全に自由に話せる」は31%、「報道は完全に自由」は28%にとどまった。
さらに興味深いのは、各国の体感差である。今回の「政府を批判しても不利益を受けずに発言できるか」という認識調査では、韓国は世界2位、アメリカは中位圏、日本は中位からやや下位圏、中国は調査対象外と見られる。
中国については、Pewの今回調査には含まれていないため、単純比較はできない。ただし Freedom House の2025年評価では、中国は「Not Free」、100点中9点とされ、制度的な言論・政治的自由は極めて低く評価されている。
本文
この調査で最も興味深いのは、「自由」が制度ではなく“感覚”として調査されている点である。
つまり、「あなたの国では、ジャーナリストや市民が政府を批判しても不利益を受けずに発言できると思いますか」という問いが中心になっている。
ここには現代社会特有の問題が浮かび上がる。20世紀型の「言論の自由」の議論は、主に国家権力との関係だった。新聞の検閲、政府による統制、独裁政権による弾圧。自由とは「国家が介入しないこと」を意味していた。
しかし2020年代の世界では、状況が変わってきている。SNSによる炎上、職場や共同体での排除、過剰な分断、アルゴリズムによる情報の偏り、巨大プラットフォーム企業による表示制御。人々は、法律上は自由であっても、「話すことのコスト」を強く感じ始めている。
今回のランキングで韓国が世界上位に入ったことは興味深い。韓国社会には強い政治対立やネット空間の激しさがある。しかし同時に、民主化運動や市民運動の歴史を通じて、「政府批判は市民の権利である」という感覚が根付いているとも考えられる。
アメリカは「言論の自由」を最も重視する国の一つだが、近年は政治的分断やキャンセルカルチャー、SNS企業による規制をめぐる議論が強まり、「本当に自由に話せるのか」という不安も広がっている。
日本は今回、世界の上位には入っていない。しかし、日本社会を考える上でも、この調査は非常に示唆的だ。日本では、法律による直接的な言論弾圧は比較的少ない。一方で、「空気を読む文化」や同調圧力は非常に強い。政治的な発言を避ける傾向もある。SNSでも「叩かれないために沈黙する」という行動が珍しくない。
つまり、日本型の“静かな自己検閲”は、現代の言論空間を考える上で無視できない問題である。
中国は今回のPew調査には含まれていない。しかし、Freedom Houseでは政治的自由やインターネット自由度で世界最低水準に近い評価を受けている。国家による検閲、SNS監視、情報統制が制度的に存在するからだ。
Pewの調査は、単純な「民主国家 vs 独裁国家」という構図ではなく、現代社会における“心理的自由”の問題を浮かび上がらせた。
それはおそらく、情報社会が成熟した時代に現れた、新しい種類の自由の問題なのだろう。
参考・参照
・Pew Research Center
・Pew Research Center
・Freedom House
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